淀川長治さんとの出会いは、ラジオ日本がまだラジオ関東と呼ばれていた頃。
ラジオ関東で北原じゅんさんがなさっていた映画番組「スクリーン・ナウ」の相手役のオーディションが、そのラジオ製作をしていた銀座の桑の実プロで行われ、受けに行って運よく受かったことから始まる。ついでにCBCとHBCの深夜放送も担当することになり、その収録の前のスタジオが淀川さんの番組。私が映画好きと言うのを担当のディレクターから聞いて、「だったら、笑う係をやってね」と。その時すでにテレビでは知られている方だったが「ラジオはボクは新米だから」とおっしゃった。もちろん、ふたつ返事で引き受けた。
1畳半ぐらいのスタジオで机の反対側に座り、淀川さんの話を、声を出さずに面白いならニッコリ、わからないなら首を傾げると言った、映画ファンにとってはまさに生きた勉強。面白くて、笑い声を殺すのは結構大変だった。
当時の淀川さんは、ヘビースモーカーで、お茶は飲まず、コーラ一辺倒。毎週の収録で2年間ぐらい続いたが、そんなこともあって「ボクは人に奢ったりしないの。でも、特別にね」とクリスマスの頃になると担当のディレクターとご馳走になることが数年間続いた。お好きなのは蟹玉。
その当時、淀川さんが付けてくださったあだ名は「フランス人形」。それが後には「シネマ芸者」になってしまうのだが‥。